小笠原諸島旅行記③〜二日目中編〜

接岸後、ついにおがさわら丸の乗船口の扉が開かれる事となった。
扉前の船内ロビーには、扉が開かれる事をいまかいまかと待ちわびる乗客たちで一杯になった。
航行中はあまり気にならなかったが、こんなに沢山乗っていたのかと改めて感じた。

港に降り立ち、すぐ目の前にある待合所的な建物を通り抜け、これから3泊お世話になる宿へと向かう。
出迎えに来ている宿もあったが、僕にはそんな出迎えがあるはずもなく。
何故なら今回泊まる宿は港から一番近いのだ。
港の前の横断歩道を渡ってすぐの「民宿がじゅまる」が今回お世話になる宿だ。
民家風の玄関を開けると、フジコ・ヘミング風のおかみさんが出迎えてくれた。
電話口での印象通り、口調から風貌までフジコ・ヘミングそっくりだった。
受付を済ませ、部屋へと向かう。二階の一人部屋である。
二階には全部で4部屋あった。
建物全体は古さが目立ちつつあるが、掃除は行き届いていた。
軽く荷物を整理し落ち着いたところで、これからの予定を決めなければ。
フジコさんに「待合所に観光案内所があるわよ」と教えてもらったので、早速行ってみることにした。
船は荷下ろしの作業をしていたが、先ほどまで大勢いた人だかりはすっかり引いてしまい
待合所の中はしんとしていた。
観光案内所のおばさんに何も決めずに来てしまった旨を告げると
何枚かパンフレットを引っ張り出してきて、いくつかおすすめのコースを教えてくれた。
小笠原のアクティビティーは主に海か山に分かれる。
海ならば船を持っている業者に、山ならば個人のツアーガイドに申し込むのが通常で
基本的に、好き勝手に海や山で遊ぶことは出来ないと言ってもいい。
とりあえず2日目に山、4日目の午前中に海に行こうと決める。
山は「オガツアー」という個人のツアーガイドさんに申し込む事にした。
電話を掛け、明日のツアーを申し込むと「朝8:30に宿まで迎えに行きます」との事。
次に海の業者に電話してみたが、1件目はその日ツアー自体やっていないそうで、あえなく撃沈。
それもそのはず。
一月後半の小笠原は閑散期の中の閑散期らしく、島全体が心なしかひっそりしている気がした。
ツアー自体もそもそもの参加者が少ないので、催行もされなかったりするらしい。
その後2件目に電話し、無事シュノーケル体験的なものに参加することになった。
何故ダイビングではなくシュノーケルなのかと言うと、マリンスポーツ自体あまり経験が無いので
いきなりダイビングはいささかハードルが高すぎた。
あと、初心者はいきなりダイビングでは無くて、講習的なものから始めると思うので
出来れば本土でそれらの講習を済ませてしまった方が良いと思う。
もちろん、小笠原でも一から始める事は出来るし、そういうツアーもあるにはあるが
より小笠原の海を楽しみたいなら、事前の練習をおすすめします。

思ったより長くなったので、後編に続きます。

小笠原諸島旅行記③〜二日目前編〜

「やったー!!やっと電波がつながったぞ!!!」



…夢か。

見知らぬ天井。
今自分がどこにいるのか分からなくなるという旅先でよくありがちな現象。
しかも今回は太平洋上を航行する船の中。
酔い止めの効果で、眠れないという事は無かったが、それでも夜中に何度も目が覚めた。
目が覚める直前に見ていた夢は、決まって携帯電話の電波が繋がるという内容。
前日の夕方に八丈島付近を通過してからというもの、電波の入らない状況が続いている。
普段、我々は電波の海の中で生活している訳で、電波が無い環境というのは地味にきつく
ボディーブローのようにじわじわと効いてくる。
2等寝台はカプセルホテルより一回り小さいくらいで、あまり良い環境とは言えない。
外洋に出た辺りから波が強くなったため、夜中、枕元に置いた荷物と一緒にズルズルと流されてしまうこともあった。
更には船底から不吉な異音も聞こえてくるし、何だか海底に引きずり込まれている気分だ。
ちなみに、部屋は均等に割り当てられているようだった。
2等寝台の場合は4部屋で一つの区画を成しているが、今回は乗船人数が少ない事もあり
一区画につき使用しているのは2部屋程度だった。
前おが丸の場合は先着順に詰め込まれるシステムで、最後の方の区画はガラガラという事もあったよう。


そんなこんなで夜は明けつつある。
デッキに上がり、朝日が昇るのを待つことにした。
外の空気はひんやりとしているものの、南の風を感じることが出来る。


朝日が昇りつつある。雲も適度にあっていい感じ。


朝日・夕日というのは太陽だけでは成立しない…と思う。


雲が太陽をより引き立てるのだ。


無事に昇りました。


さわやかな雰囲気。


心なしか海の色も濃くなってきた。

朝日を眺めたら、一度自分の部屋に戻る。
午前7時丁度に船内放送が流れる。
ちなみに、おが丸の消灯時間は22時〜よく7時まで。
消灯といっても真っ暗になるわけではなく、船内の案内所は深夜でも船員の人が待機している。
小笠原までの航路で中間地点に位置する鳥島がひとつのマイルストンになっているらしく
船内放送では、鳥島付近を定刻通り通過した旨の放送が流れた。
30分遅れで東京港を出港したが、遅れた分は取り戻したらしい。

7時30分からレストランで朝食が始まる。
形式上はバイキング…なのだが、一品ごとに料金が設定されており
旅館のようにまともな朝食をとろうとすると、結構な料金になってしまうのだ。
まあ船の上なので値段に関しては仕方ない部分もあるし、安く済まそうと思えば出来ない事もない。

朝食を済ませなんやかんやしていると次第に小笠原諸島に近づいていく。
まず見えてくるのが聟島列島


奇妙な岩が並ぶ。


何となく、遠くに来てしまった事を実感する。

そしていよいよ父島を含む、小笠原諸島が姿を現す。
この辺りようやく電波も復活。


姿は見えていても、船なのであと一時間くらいかかります。


島の様子が分かるくらいまで近づきました。


立体的な山肌。


自衛隊の船が停泊中。


手を振ったら振り返してくれました。


港が近づく


クルッと一回転して。


お出迎えの人達。


いよいよ接岸。


着きました。ここが…小笠原!

後半へ続く

小笠原諸島旅行記③〜一日目〜

旅立ちの朝。

11時発の為、1時間前に到着すべく、9時くらいに家を発つ。
前おが丸は9時半発だった為、通勤ラッシュともろ被りしてしまい
大きな荷物を抱えての電車移動は大変だったらしい。
今でこそ通勤ラッシュからは少し外れるものの
それでも電車は混んでいる時間帯なので
周りの人に申し訳なく思いつつ浜松町駅に到着。
ゴロゴロとキャリーバックを引きつつ、竹芝桟橋へと向かう。
同じおが丸に乗るであろう人の姿もチラホラ。
竹芝桟橋手前のコンビニで水を買う。
この時は船内の売店を過信しすぎていたので、他の物は買わなかったけど
前回までに書いた通り、売店のラインナップはあまり充実しているとは言えないので
コンビニで自分の好きなものは買っておこう。

竹芝桟橋のロビーに到着。閑散期なのであまり混んではいない。
前おが丸の頃はここで一旦並び、順番に書類を記入し
先着順で船の上の階から席が割り当てられていたらしい。
しかし、新おが丸はインターネットで予約していれば
窓口での簡単な手続きのみでチケットが発券される。
昔は良い席をゲットするためには早朝から並ぶ必要があったが
今はそんな必要はない。

無事チケットを受け取る。
まだ時間はあるので、展望エリアでおが丸と対面する。


近くで見ると結構デカい。

このタイミングで酔い止め薬を投入

ひとしきり船を眺めて満足したら、いよいよ乗船。

特に改札的な物はなく1階から船に乗り込む。
ただし、船の入口でチケットをチェックされる。
気を付けないといけないのは、チケットは下船時も必要になるので
無くさずに保管しなければいけない。
なんでも乗った人と降りた人の数が同じかどうか確認するためらしい。
途中で海に落ちても誰も気が付かないかもしれないしね。

自分の席、というか寝台に行き、荷物をまとめ、とりあえずデッキへ上がってみる。


デッキにはもっと人がいるかと思ったら、そうでも無かった。


青空に映えるカラーリングの煙突。

荷役作業が遅れており、定刻には出発せず。

その間海鳥達が集まり、地上係員との熱いバトルが繰り広げられる。


係留ロープにとまりたい海鳥たちと、そうはさせまいと睨みをきかせる係員。
定期的に係員がロープをガシガシ蹴って追っ払おうとしていた。

そんなこんなしていたら、荷役作業も終わり30分遅れで出港。


ささやかなお見送りもある。小笠原諸島のマスコットらしいおがじろう君も見送ってくれるぞ。


って、おい


(小笠原のマスコットなのに)お前は行かんのかーーい!!!

もしかしたら長男の「おがたろう」が島にいるのかもしれない。
そんなこともありつつ、おが丸は汽笛を二発ぶっ放し、太平洋へ向けて船体の回転を始める。
東京湾に頭から突っ込む形で停泊しているので、180度回転する必要があるのだ。


ヘドロを巻き上げます。


レインボーブリッジをくぐる。と同時に、何かあっても6日間は戻れないのだ、今更ながら実感する。


絵になる風景。


大井埠頭の横を通過。この時点で結構スピードは出ている感じだ。


羽田空港の脇を通過。離着陸する飛行機が間近で見れる。
なんだか段々楽しくなってきた。

一段落したら昼食の為、食堂へ。
名物らしい塩ラーメンと昼にもかかわらず瓶ビールを選択。
ラーメンはまあまあの味。


まあ、酔う前に酔えって事で。

食事後は売店で缶ビールを買い、再びデッキへ。
まあやる事無いからビール飲んでしまうのは仕方ないよね。


行きかう船を眺める。


気温は低いが、日差しがあり心地良い。


船が列をなす。太平洋へ出るための道である浦賀水道は船の往来が激しいところでもあるらしい。


タグボートとすれ違う。


「K」のマークの川崎汽船と謎の船団たち。


海と缶ビールの相性は良い。


次第に陸から離れていく。


見るものが少なくなったので、波しぶきを眺める。


ダンプ君もやる事なくて暇そう。


そして誰もいなくなった


遠くの島しか見えなくなった。


迫る夕暮れ。


雲の隙間からもれる夕日と、伊豆諸島の青ヶ島
青ヶ島をこえると小笠原までは無人島しか無い。


遠くに停泊するタンカーが一隻。

日は暮れた。
もう回りに島はなく、おが丸は暗闇の大海原を突き進む。
出発前、大きく見えたおが丸だが、外洋に出てからはまるで笹舟のように小さく感じてしまう。
あと、段々揺れが激しくなってきた。

20時頃夕食。
三元豚のステーキなるものを食べたが、これが結構おいしかった。


波の影響でスープがこぼれた。

22時消灯。とはいっても廊下は明るい。

二日目に続く

小笠原諸島旅行記②〜父島とおがさわら丸〜 続き

続き

酔い止め薬について。
自分の乗り物酔いについては
「車や飛行機に普通に乗っている分には酔わないけど、車で本とか携帯電話を見ているとすぐに酔うレベル」
と認識していた。
特に強い訳でもないと思うので、酔い止め薬について色々調べていると「アネロンニスキャップ」という薬が良いらしい。

【指定第2類医薬品】アネロン「ニスキャップ」 9カプセル

【指定第2類医薬品】アネロン「ニスキャップ」 9カプセル

一般的な薬局でも売っている。
一錠で24時間効くというまさに小笠原へ行く時向けな酔い止め薬である。
結果的にはこれを飲んでいたお陰で全く酔わずに済んだ。

次に船室について

おが丸の船室は以下の通りに分けられる。

特等室
特1等室
1等室
特2等寝台
2等寝台
2等和室

特等室や特1等室は庶民には関係ないと思うので、1等室から解説しよう。

1等室
個室の一番下のランク。
小学生未満は大人一人につき一人無料なので、ファミリー向け

特2等寝台
2等寝台より若干個室感UP。
2等寝台より若干布団のふわふわ感UP。
2人客の場合、通路とのカーテンを閉める事により、より個室っぽくなる。
テレビ付き。
大切なあの人との旅行向け。

2等寝台
カプセルホテルのようなイメージ。
漫画喫茶のフラットシートみたいな感触のベッドに薄っぺらいブランケットが付く。
カーテンを閉める事により個室っぽくなる。
最低限のプライバシーは守りたい一人旅向け。

2等寝台
いわゆるひとつの雑魚寝。
ただし、前おが丸よりだいぶ進化したようで、昔からあるフェリーの大広間で雑魚寝といったイメージではなく
10人前後のスペースで区切られているので、居住性は高まったようである。
ファミリールームあり。

船内は基本的に静かなので、家族連れは個室かファミリールームが良いと思います。
前おが丸では無かった2等寝台が新設されたので、寝台に対する値段的なハードルが低くなった。
あと、テレビはあってもなくてもどうでもいい。どうせ陸から離れたら映らないので。
テレビなんか見てないで海を見ろ海を!!!

最後に船内の施設

レストラン 父島
航海中の三食はここで食べることができる。
広いし、窓もある。
営業中なおかつ注文しないとテーブルまで行けない。
値段はやや高めだが、味はどれもおいしい。
ただし、朝食はべらぼうに高い。
揺れが酷いと営業時間が変わったりするらしい。

展望ラウンジ 母島
売店付きのラウンジ。
大きな窓あり。
レストランと違い24時間入れる。
売店も遅くまで営業している。
メニューはアルコールやおつまみが中心だが、レストランと違い作り置きな感じ。
航海中は居酒屋と化す。
ジュースの自動販売機あり。

ミニサロン 南島
場所が分かりづらい、地下牢のような雰囲気のミニサロン。
飲み物と食べ物の自動販売機完備。
ただし、立食で窓はない。
よっぽどの事がない限り人影はまばらな模様。

売店 ショップドルフィン
食べ物・飲み物・土産物を一通り取り揃えているが
残念なのが、ラインナップが後述の自販機と完全に被っているところ。
まあ、おが丸はフェリーではないので文句は言えないけど。
お弁当等も無し。パンはあるが、長持ちするタイプのもの(このパンも自販機で売っている)
カップ麺はある。つまり何かしら持ち込まない限り食事はレストランかカップ麺が中心となる。
おつまみもあるけど、貧弱な乾き物くらいしかないので、お酒飲む人は持ち込んだ方が良い。
あと、前おが丸では酔い止めが売っていたらしいが、今はないので注意。
必ず乗る前に買うようにしよう。

自動販売機たち

4デッキとミニサロン南島に設置。
ジュース・アルコール・カップ麺・パン・お菓子・軽食など豊富なラインナップだが
同じものがショップドルフィンでも売っている。
まあ、ショップドルフィンと異なり、こちらは24時間営業なので
少なくともおが丸内で飢え死ぬ心配はないだろう。
あと、自由に使える給湯器もある。

シャワー室
各フロアにあり、無料で使える。
一か所につき3基づつあり、仕切られた更衣室の先にシャワールームがあるイメージ。
シャワーは銭湯みたいにボタン押してしばらくすると水が止まるシステムだけど、無制限で使える。
前に乗った事がある寝台列車サンライズエクスプレスでは、シャワーは有料なうえに
5分間の制限付きだったので、船の懐の深さを思い知らされる。
そもそも父島で水とか燃料は補給していないと思うので、往復分は余裕で積んであるんだろうなと想像。
父島へ物を運ぶのが主任務であるので、父島で補給することはあってはならないのだ。
前おが丸と変わったことは、シャンプー・リンス・ボディーソープ完備になった事。ドライヤーもある。
タオルだけは無いので、自分で用意しよう!

トイレ
前おが丸では新幹線のトイレのように「ボッッッ!!」って吸い込む真空式だったのが
新おが丸では水洗トイレに変更。あれ結構びっくりするので水洗がいいですね。

洗面所
洗面所だけの部屋があり、数も多い。
いやむしろ多すぎなくらいで、使ってる人はあまりいなかった。

案内所
24時間体制で係りの人が常駐している。
何かあったらここに駆け込もう!

エレベーター

これは前おが丸ではなかった。
一番上の階まで行けるが、一番下の2等寝台のフロアまでは行けない。
揺れが酷いと閉鎖される。

貴重品BOX
指紋認証付きのBOXだけど、あまり大きくなく、一眼レフをしまうのが限界。
どうしても盗まれたくないものを入れよう!

冷蔵BOX
温度を変えて冷凍まで対応できるらしいBOX。
数に限りがあり、人気もあるので、使いたい人は早めにチェックしよう。

甲板
船の一番上が屋上みたいになっており、ベンチなどの腰掛スペースもある。
後方にはテーブルも付いた談話室のようなスペースも。
書かなくても分かると思うが、揺れが酷いと閉鎖される。

他にあるもの
・キッズスペース
・授乳室
喫煙室
・ペットルーム

ありそうでないもの
・浴槽
 →揺れが酷いと浴槽からお湯が溢れるので付いていない
・プールやジャグジー
 →クルーズ船ではないのでありません
・医務室
 →まさにありそうでないもの
  何かあったら自分で何とかしよう!
  因みに船内でどうしようもない急病人が出たら東京に引き返すらしい。

まとめると、船自体新しいこともあり、基本的には快適に過ごせるかと思います。
特に水回りは充実しています。
閉鎖された空間な故、シャワー等でリフレッシュ出来るのはいいですね。
「こんなに快適なら一週間ぐらい乗ってても全然平気だな」と
行きの船では考えていました。そう、行きの船では。

長くなったけどいよいよ出港
1日目へ続く

小笠原諸島旅行記②〜父島とおがさわら丸〜

本編に行く前に小笠原諸島・父島まで行くおがさわら丸について書いておきたい。
小笠原に興味の無い人には謎な存在のおがさわら丸(僕も以前はそうでした)
そんなおがさわら丸は実は昨年三代目に代替わりし、新しくなった。
小笠原に行くにあたって、他の人のブログ等を参考にしていたが
先代のおがさわら丸の情報が多く、三代目についてはまだまだ記事が少なかったのである。
そのため、今後の参考になるようにおがさわら丸について詳しく書いてゆきたい。

※父島の人からは「おが丸」と呼ばれているので、今後そう書きます
 (あと、全部書くのが結構メンドクサイ)

そんな初代おが丸、東京・竹芝桟橋から父島・二見港まで約1,000キロを24時間で結ぶ。
初代は28時間、二代目は25.5時間掛かっていたので1.5時間短縮した形となる。
運航スケジュールは六日で一往復が基本。
もっと詳しくいうと

一日目11:00 東京発
二日目11:00 父島着
三日目    父島泊
四日目    父島泊
五日目15:30 父島発
六日目15:30 東京着

六日のサイクルなので、段々曜日がズレてくるので、船会社である小笠原海運のHPで確認してもらいたい。
また、大型連休中は父島に泊まらずピストン輸送してくれるが、往復で丸二日は絶対かかるので
着いたおが丸でそのまま帰る場合は除いて、結局は丸六日のスケジュールとなる。
ちなみにこのサイクルを小笠原用語で「一航海」と呼ぶ。
旅行客は一航海で滞在する人が多く、お金も時間もある人は二航海以上滞在するらしい。
ただしこのスケジュールは海況によって直前に変更されることもあるので、注意が必要。
実際、自分が行った便のひとつ前の便が、低気圧の影響で一日早く東京へ帰ってしまった。
台風の際は時間をズラして出発することもある。
なぜ、そうするかというと、おが丸は島へ物資を運ぶ船でもあるので、極力欠航はしないようにしてるそうだ。
そのため、定時運行できる保証はないけど、欠航自体は少ない事になる。
これには他にも理由がある。
小笠原海運の親会社である東海汽船は、伊豆諸島への船便を運航しているのだが、欠航が非常に多い。
その理由は伊豆諸島の島々の港は外洋に直接面している所が多く
海が荒れている場合は港に近づけても、接岸することが出来ない(からだと思う。想像です)
逆に、父島の二見港は天然の入り江の奥の方にあり、その結果外洋の影響をあまり受けず
父島に着けば間違いなく接岸出来るからだ(これも想像)
前述したように、アクシデントにより滞在期間が短くなってしまうことがある。
そんな時に、例えば
「せっかく予定立てたのに台無しじゃない!いったいどうしてくれるのよ!!お金返して!!!」
とか思ってしまいそうな人は、小笠原への旅はおすすめしない。
何故なら小笠原では自分の意志ではどうにもならない事が他にもあるからだ。
ゆとりある気持ちで臨まないとストレスばかりの旅になってしまうと思われる。
ちなみに、一般人が父島まで行くにはおが丸を使うしかない。
他の島みたいに船がダメなら飛行機で、あるいは翌日の便でとかは出来ない。
遅れたからといってお金が戻ってくる訳でもない。
おが丸で行き、おが丸で帰るしかない。
また、父島と父島から船で行くしかない母島は生活のサイクルがおが丸に左右されていると言っても過言ではない。
父島に停泊していない時は営業しないお店とかもあるくらいだ。

次に船自体について
先代おが丸は約20年で退役することになった。
退役間近の写真を見る限りまだまだいけそうな感じではあったが
現地でお世話になったツアーガイドの方いわく
船内のシャワー室のカーテンが「口で表現してはいけないくらい気持ち悪い状態になっていた」
ようであり、見えないところで色々限界だったのかもしれない。
代わって登場した三代目おが丸は、日本の造船技術の粋を集めた最新の船であり、様々な技術を駆使して作られている(らしい)
特に船首を垂直にする「垂直ステム」は推進効率を高める事に貢献しており
エンジンの出力は先代と変わらないのに、所要時間を短縮する事に成功している。
また、船のサイズも先代と比べて1.6倍大きくなっている。
他にも色々あるが、これから先は君の目で直接確かめてくれ!

また、気になることは「揺れるか」である。
僕も海をはしる船は乗ったことが無く、揺れに対しては未知数だった。
ただ、おが丸にはフィンスタビライザーなる装置が装備されているらしく、横揺れを大幅に軽減してくれるらしい。
(逆に言うと縦揺れに対しては無防備なのだが…)
小笠原海運には航海中の揺れに対しての質問が数多く寄せられているのか
HP内の「よくある質問」のページになんとも曖昧な表現でこう記載されている

Q.船は揺れませんか?

A.ご利用いただく船は、おがさわら丸(11,035トン、全長150メートル)です。
おがさわら丸は、東京から小笠原・父島まで約1,000キロを結んでいます。外洋を航行しますので、全く揺れないとは言えません。
しかしながらおがさわら丸は、高出力のエンジンを2基備えた11,035トンの、この航路仕様のために建造された貨客船です。
特に横揺れ防止装置のフィンスタビライザーを装備しており、揺れを大幅に軽減しています。

小笠原海運HPより)
全く揺れないとは言えない…
全く揺れないとは言えない…
全く揺れないとは言えない…つまり揺れるのである。
では、船酔いとかの対策は?

…と書きたいところだが、書くのに疲れたので、次回へ続く


父島・二見港に停泊中の三代目おがさわら丸

小笠原諸島旅行記①〜立志編〜

いつの頃からだろうか、小笠原に行ってみたいと思うようになったのは。
思い返すと数年前に遡る。
単純に辺鄙なところに行ってみたいという軽い動機だったと思うが
船便なうえに、往復で5万円以上かかる交通費やまとまった休みが取れないことなどから一度断念した経緯がある。
小笠原行きはお蔵入りになった…はずであった。

転機が訪れたのは、昨年の夏が過ぎ去ろうとしていた頃。
一時期、東京湾がよく見渡せる場所で仕事をしていた。
その時によく目についたのが、小笠原まで行く船「おがさわら丸」
以前小笠原について調べていたので、船の特徴は何となく覚えていた。
最初は「あれが小笠原まで行く船なんだな」という程度の意識でしかなく
小笠原行きの熱意が再燃するまでには至らなかった。
ただ、日々目にするうちにその気持ちが次第に変わっていく。

おがさわ丸が停泊するのは、東京・竹芝桟橋
レインボーブリッジを超えた先にある、東京湾でも最も奥まった桟橋である。
タンカーなどの大型船はせいぜいレインボーブリッジ手前の大井ふ頭あたりまでしか来ないので
それゆえ大型船のおがさわら丸はレインボーブリッジから先の東京湾では特に目立つ存在となる。
また、運航スケジュールにも特徴があり、基本的に東京と小笠原諸島・父島を週一往復で結んでいる。
そのため、週の前半に竹芝桟橋着、1日〜2日停泊したのち、週半ばに父島に向け出発するスケジュールが基本となる。
竹芝桟橋着は15時半、発は11時とほぼ固定されているが、発着の日にちは微妙にズレたりする。
つまり、いつ着くのかまた、いつ出発するのは船会社の時刻表を確認しない限りはよく分からない。
ただ、おがさわら丸は竹芝桟橋に着く直前、汽笛を2回鳴らし、到着したことを知らせてくれる。
出発する時も同じだ。
たまに「今日はまだ出発しないだろう」と油断していると、汽笛が聞こえたりすることがある。
そんな時は「馬鹿な、早すぎるっ!!」となり、東京湾を見にいくと
おがさわら丸がゆっくりとレインボーブリッジをくぐっていたりする。
そんな過ぎ去っていくおがさわら丸を何度か見ているうちに、ある想いを抱くようになる。

「あの船に乗ってあの先の景色を見てみたい!小笠原に行ってみたい!!」

幸い長期で休みが取れる機会が巡ってきた。
また、昨年(2016年)おがさわら丸が代替わりになり、運賃も少しだけお安くなっていた。
これは行くしかないと思い、チケットを買おうとしたのだが…。
休みとはいえ、出発すると6日間東京には戻れない。
また、船なんてせいぜい観光船かスワンボートしかないし、船酔いも未知数。
マリンスポーツも特にやらないし、小笠原でよく見ることが出来るクジラには特に興味がない。
行くのかどうか三日三晩悩んだ。
最終的には滅多に行ける機会はないし、他の人のブログを色々見る限り
行ってみてガッカリしたとかいう評判は全くなかった事が大きかった。
少なくとも後々後悔することは無いだろう。
そう結論付け、チケット購入のボタンを押したのだった。

宿泊先は質素なところでも構わないと思い、色々検討した結果「民宿がじゅまる」という宿にした。
※がじゅまるとは沖縄などの南国によく生えている木の名前
予約の為電話をしてみると、おそらく電話に出たのはおかみさんだが
声と喋り方が伝説のピアニスト、フジコ・ヘミングみたいで少し好感が持てた。
現地での行動は天候が読めない事もあり、到着後に決めることにした。
その他、酔い止め等の準備を整え、当日の朝を迎えたのだった。

続く

謎の街、麻布狸穴町をゆく

先日、何気なくgoogleマップを見ていたら都心に面白い名前の街を見つけました。

「あざぶまみあなちょう」と読みます。
後々の写真で登場しますが、狸穴の「狸」とはアナグマの類だそうで。
アナグマってあまり馴染みがないですが、要は狸に似た生き物です(適当)
東京は、例えば「新宿○○町」のような地名の後に地名が続くパターンの町名が結構あります。
麻布狸穴町もそのパターンですね。
面白いのは町名だけでなく、その面積もです。
地図を見ればよく分かりますが、非常にこじんまりとしています。
そんな麻布狸穴町に実際に行ってみました。


芝公園方面から目的地を目指します。


飯倉交差点。ロシア大使館が近いのでバリケードで警備しています。


某海外ドラマで治外法権を侵されていたロシア大使館
あれは日本ではなくアメリカでしたが。

ロシア大使館は元々麻布狸穴町だったそうですが、今は「麻布台2丁目」という町名になっています。
ちなみに大使館の写真を撮ろうとするとお巡りさんに怒られます。
良い子は真似するなよ!


ロシア大使館のすぐ横が麻布狸穴町です。
入口に説明が省ける看板がありました。


入口からの坂道。結構な勾配があります。


町内には一生ご縁がなさそうな高級マンションがありますが
その一方で庶民派な住宅もあります。
このあたりなら住めそう。


このあたりも。


商店がありましたが、これは隣の地区です。
町内に商店は無い模様。


公園がありました。結構広い。
ミスチルの歌詞の一節に「顔の割に小さな胸〜」というのがありますが
これは「町の面積の割に広い公園」ですね。
砂場を囲う猫除け?用の柵が異様に高いのが気になります。


裏手に鼠坂という名の坂がありました。
さらに上にも坂があるようで。


鼠坂を登った所に空き地がありました。
都心に居るとは思えない静けさが漂います。

古いバイクが、忘れられたように放置されています。
都内の一等地にもこのような場所があるとは驚きです。


鼠坂の上にある植木坂。


植木坂のてっぺんまできました。
写真では分かりづらいですが結構な激坂なので、達成感があります。
ここは麻布狸穴町からは外れますが、標高差が凄いです。
実家の裏山より高いかもしれません。

東京は江戸時代以前は湿地帯だったというのは有名な話ですが
当時からこのような丘があったのか気になりますね。
「狸穴」という名前は、かつてアナグマが住んでそうな草むらだったからという説があります。
また、再開発が激しい東京においてこのような地区は貴重な気がします。
いつまでも残ってほしいと思える街でした。